【チーム・スポルディングに聞く!】井手勇次 編

2015/08/20
CATEGORY : INTERVIEW
#38_5(square).png

『チーム・スポルディングに聞く!!』は、チーム・スポルディングの選手にインタビューを行う企画です。 
 第4回目は、ターキッシュエアラインズbjリーグの『金沢武士団(サムライズ)』に所属する、井手勇次選手に話を伺いました。 

北陸高等学校時代にはインターハイ制覇、一度はバスケから離れるもプロとしてバスケの世界に戻ってきた井手選手の半生を振り返っていますので、是非ご一読ください。 
インタビューアーは、スポルディング・ジャパンの中山が務めました。 
 ================================================================================= 
中山:
バスケを始めたきっかけは何ですか? 


井手: 
地元にミニバスのチームはなかったんですけど、親が元々バスケをやっていたんです。僕がまだ小さいころに、家から車で20分くらいかかるところにあるチームから母親にコーチの依頼が来て、それに付いて行ったのが最初のきっかけですね。幼稚園からサッカーをしていたので、バスケがしたいとかではなく家に1人で残れないので付いて行っていました。 
兄も一緒にバスケに付いて行ってたんですけど、最初は全然興味が無かったのでコートの周りで遊んでいました(笑)その頃はバスケよりもサッカーに夢中でした。試しにというぐらいの気持ちで初めてバスケをやった時は滅茶苦茶きつくて、あんなに狭いコートなのに汗もすごいかきました。当時の記憶ですけど、サッカーチームがあまり強くなかったのもあって、外でサッカーしてもあまり汗はかかなかったですし。でもそのきつさがとても楽しくて、そこからはバスケにのめり込んでいきましたね。 
しばらくはサッカーも並行して続けていたんですけど、土日はバスケの試合に出ていたのでサッカーには全然行けず、対談してしまいました。周りの友達も同じような状況だったんですけど、みんなバスケを選んでしまいましたね(笑) 


中山: 
お兄さんも同じチームだったんですか? 


井手: 
2個上で同じチームでしたね。ハライチの澤部さんも同じチームで、そこからの仲ですね。あだ名のべっちーと呼ばせていただいています(笑) 


中山: 
そのミニバスのチームは強かったんですか? 


井手: 
兄の代で埼玉県大会に初出場しました。父も母も元々実業団でプレーしてたんですけど、その時は父も仕事終わりにコーチとして教えていました。自分たちの代では両親二人ともがっつりコーチとして入っていました。 


中山:
ご両親がコーチというのはやりにくくないんですか? 


井手: 
全然そんなことなかったですね。帰ってからもずっとバスケの話をしていました。それこそ何回も喧嘩しましたけど(笑)。 
バスケがとにかく大好きでしたね。台風でも『練習に行きたい!』と訴えていました。 


 中山: 
バスケのどういうところにはまっていたんですか? 


井手: 
その頃は子供だったので、理由なくただ『楽しい』という気持ちでバスケしてましたね。試合の時には、コート上からコーチである親に向かって文句を言って、ベンチに下げられたこともありました。 
ただやはりコーチとしてバスケを教えてもらってる立場だったので、家に帰ってからでもコーチングボードを使ってゾーンプレスの突破方法とかを習っていました。小学校の時からそういう教育だったので、中学に行ってからも考えながらバスケが出来るようになっていました。 
チームでも、父親がコーチとして『心技体とは何か』という講義をしていてメンタルトレーニングも出来ました。教わったことないことばかりなので、嫌がることもなく素直に聞いていました。 


中山: 
小学校からすごいことを習っていますね(笑) 


井手: 
そうですね。中学・高校・大学とレベルが上がっていっても考えずにプレーしてる選手がいるので驚きました。逆に自分は身体能力が低いと感じていたので、頭を使ってプレーしなければいけませんでした。簡単には抜けませんでしたし。 
大人になってきて体が追い付いてきてからの方が楽にプレーできているという感覚です。 


中山: 
今の井手選手を形成する上で、ご両親の存在はとても大きいんじゃないですか? 


井手: 
当時からバスケの事に関してはとても尊敬していました。ただ逆に、その頃教わったことに固執し過ぎていた時期もありましたね。バスケには正解がないとは思うんですが、やはり頭を使うスポーツだと思うので今でも考えながらプレーするのはくせになっています。 


中山: 
今でもご両親とバスケの話をしたりするんですか? 

井手: 
いや、一切ないですね(笑)。しばらくその手の話はしてない気がします。 


中山: 
小学校の時の最終的な成績はどうでしたか? 


井手: 
県大会で優勝できました。ただ『5校ルール』に阻まれて、全ミニには出られなかったです。 
(※5校以上の学校の生徒で形成されているチームは全ミニに出場できないというルール) 


中山:
そんなルールがあったんですね。


井手:
県大会2位のチームが全ミニに出場したんですけど、結局そのチームが全国優勝していました。なので間接的に優勝した気持ちでした。(笑)


中山:
中学校は部活の強い学校に進んだんですか?


井手:
親が外部コーチとして教えられたので、地元の中学校に進みました。僕が在学中の2年間ほどコーチしていたんですが、上級生もあまりいなかったので早くからレギュラーで試合に出ていました。


中山:
中学時代の成績はどうでしたか?


井手:
新人戦では確か県大会準優勝できたんですけど、最後は上尾市内の大会で負けてしまって県大会に出られなかったですね。上尾市からは1校しか出場できず、相性の悪いチームに負けてしまいました。


中山:
小・中学校のクラスでの成績はどうでしたか? 


井手:
とりあえず授業態度は良かったですね(笑)。あまりテストの順位とかは気にしたことなかったですけど、真ん中くらいだったと思います。
褒められるのが好きで、ノートとかもきれいに取ってました。授業で寝たこともなかったです(笑)
高校は最初の1学期は埼玉の学校に通っていたんですけど、通学中も勉強してクラスでトップクラスだったと思います。そこから北陸高校行ってからはバスケ漬けでした。


中山:
最初に通った高校はどこですか?


井手:
東和大昌平高校(現:昌平高校)に通いました。入ってすぐの夏でインターハイに出て、能代工高を破ってベスト4になりました。僕もベンチ入りして、少しですが試合にも出してもらっていました。


中山:
そこから北陸高校に転校した理由は何ですか?


井手:
今まで親のバスケットで育ってきた自分にとって、高校でのバスケが違い過ぎて何が何だか分からなくなってしまいました。今までやってきたバスケってなんだったのかと思うほどでした。どんどん負のスパイラルにはまっていってしまいました。
その悩みを親に相談したら転校の話が出て、決意しました。北陸高校は全国区の学校でしたので、試合に出られないんじゃないかとか否定的な意見もあったんですけど、自分では自信を持っていました。


中山:
北陸高校では寮生活でしたか?


井手:
そうですね。同級生と2人部屋でした。学校から自転車で15分くらいかかるところで、食事当番などもありましたね。朝5時に起きて全員分のご飯を作ったりしていました。そこから朝練があったりしたので、とてもきつかったです。特にテスト期間中は勉強もしなきゃいけないですし、赤点を取ったら大会に出られなかったりもしたので、必死でした。なので部活終わってから一時間はチームみんなで研修室に集まって勉強していました。 


中山:
それは大変ですね。。。そんな中でも辞めずに続けられたのは何でですか? 


井手:
バスケのレベルが高くて楽しかったです。特にその当時の北陸は考えてやるバスケだったので、やりやすかったです。セットプレーとかはあまり決まっていなくて、パス&ラン主体で攻めていました。寮生活は大変でしたが、お互いを知って呼吸が合ってくるとチームも強くなっていきました。自分たちの代では、アイコンタクトだけで相手が何をしたいかが分かったので、インターハイ優勝という結果を残すことが出来ました。
今までで一番楽しいバスケが出来た時期だったと思います。


中山:
インターハイ優勝ってすごいですね。素人意見で申し訳ないのですが、優勝するってどういう景色が見えるんですか?(笑) 


井手:
北陸は名門校なので、東京体育館でも注目されていましたし、OBやファンの方々が黄色いタオルを振り回して応援してくれていました。優勝した瞬間はうれしいというより、トーナメントだったので明日も試合があるんじゃないかな?という気持ちでした。(笑) 


中山:決勝の相手はどこでしたか?


井手:
インターハイの決勝は洛南でした。その時は勝ちましたが、ウィンターカップでは負けて準優勝でした。 中山: 北陸高校で、自分ではどういったところが成長したと思いますか? 井手: 成長ですか。。。自分の中での基準値が上がったのが一番大きいかもしれないです。周りの選手たちのバスケにかける思いがすごいですし、それぞれが地元を代表するような選手達でしたしね。その空気に触れているだけでも上手くなると感じましたね。


<後半に続く>


(2015/8/20)